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心の声に耳を傾け。。

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2012年 06月 21日

大事な恩師であり、ex-partnerでもあるあなたへ。

2012年6月20日(水)
私がいるバルセロナは、初夏の清々しい陽気です。
あなたのいる鎌倉は、梅雨入りのしっとりとした陽気でしょうー。
そんな中あなたは逝ってしまいましたね。
昨夜は鎌倉も大荒れの天気だったようで、その嵐とともにあなたは去ってしまったのですか?

お酒とタバコが大好きで、クールな表情で美女に迫る。
知的なシャレで、私たちをよく楽しませてくれました。
オシャレが好きでしたね。
大きな勢力が嫌いでしたね。
自然が大好きでしたね。
動物や昆虫、花や植物が好きでしたね。
本が大好きでした。
原発に反対してましたね。
3.11後は特にあなたの体力の多くをそこへの反発に注いでいたようにみえました。
戦うには体力がなさ過ぎました。
あなたの死とともに、原発が再稼働されない事を祈ります。

開成のお友達とは強い絆で結ばれていましたね。
そして鎌倉のお友達には支えてもらったり支えたり。

私は沢山のことを与えてもらいました。教えてもらいました。
やさしさも強さも。
わたしは何かあげることが出来たでしょうか。

ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。

美和

(写真:バルセロナ)
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# by miwa_kamakura | 2012-06-21 16:04 | my life
2012年 02月 12日

「放射能からいのちを守る全国サミット」@福島

現在、福島市のコラッセふくしまで開催している「放射能からいのちを守る全国サミット」(2月11日・12日)。いま全国に拡がる支援者・支援団体を繋ぎ、課題や情報を共有し、今後の継続的な活動のために一つの大きな力にしようというもの。参加者は6割強が県外から。
私が参加した11日は、県内外の支援者がこれまでの活動事例を紹介。その後、分科会、パネルディスカッションへと続いた。

今福島に留まっている人たちの中には、県外へ出たくても出られない人も多い。そんな方達が福島と向き合い生活していくにはどうしたら良いか、支援者は何をしたらよいのか。一時的な保養も精神的・肉体的にもたらす効果は大きい。特に子どもはそう。
今だけの支援に留めず、今後長きに渡り活動を継続していく為の体制作りなども必要。国が主体となって動く事も必要。
何より、心細いのは現地の人たち。こうしている時間も。そのような人たちと繋がりを閉ざさず、課題を共有していく場作りも継続して必要。参加した福島在住28歳の(本人曰く)女子は「人と繋がる事で救われた」と。

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実行委員長の挨拶。(県外の方へ)今の生活を謳歌して欲しい。そして福島の存在を忘れないで欲しい。受け入れて欲しい。「来てくれてありがとう」と何度も。放射能の問題は、これから長く遠い道のりになる。手を差し伸べ続けて下さい。

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「放射能からいのちを守る全国サミット」@福島_c0088237_115686.jpg
飯館村出身の画家・渡辺さん。「イノチは繋いでいくもの。それを壊すものに対しては「No!」と声をあげていいはずだ。どうか力を貸して下さい。」3.11後は、「母と子」の絵を描き続けているという。

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生後一ヶ月もいかないような乳児。この子は親だけじゃ守れない。皆の力が必要。

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福島駅前の線量計は1.24μSvを記録。この汚染レベルに1年間居続けると、被曝量は10.86mSvで国の基準値を遥かに越えてしまう。

# by miwa_kamakura | 2012-02-12 12:24 | Others
2011年 12月 04日

伊豆・松崎のナマコ壁

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明治時代に建てられた呉服屋。色付いた山を背景に。

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2泊3日で西伊豆へ。西伊豆は電車が走っていないせいか、街の景色も派手さは無く長閑な田舎町が続く。空も山も海も広く美しい。

今回は、母の故郷・戸田から南下し松崎市へ向かう。明治から昭和初期まで民家の外壁に多く見られたナマコ壁の修復現場を見学、塗りの体験に。

平瓦の目地を、麻スサ、海藻糊、砂を混ぜて作った漆喰を海鼠の形のように塗っていくところからこの名が付いた。当時、茅葺き屋根が多く、火事になった家の茅の火の粉が飛んできたらしく、延焼防止のためにナマコ壁が生まれたという。

六十代、七十代の職人さんが修復にあたっていたが、若い人の継ぎ手はいないのだそう。

帰り、堂ヶ島の辺りで美しい夕陽。

# by miwa_kamakura | 2011-12-04 17:51 | Art & Design